みなさまこんにちは。
世界一周を終えて徐々に日本の生活に戻りつつある今、改めて世界一周を振り返ってみたいと思います。
いやぁお待たせしました(;´∀`)アハハ
スポンサードリンク
僕らの世界一周

まず初めに僕らがどんな世界一周をしていたのか数字で見てみましょう。
- 期間:2023年4月2日〜2025年1月15日
- 日数:621日
- 訪問大陸:7大陸
- 訪問国:56国(地域)
- 一時帰国回数:4回
- 病院にお世話になった回数:3回

約1年10ヶ月の世界一周となりました。
その間一時帰国を4回しているので世界一周というか2周くらいしています。
56ヶ国も回ったというとすごいイメージがありますが、実際のところ1ヶ国1週間ちょっとしか滞在できておらず、日本でいうところの東京と大阪を見て次の国へ行ってしまっているような感じです。
様々な国と地域の暮らしを見てみたい。
そういう思いががあったので前半は駆け抜けましたが、旅を出てからの1年間で「滞在するような、暮らすような旅」がしたいと思い、後半はホームステイやボランティアなども活用しながら忙しく動き回らない旅にシフトしています。
この辺は普通のバックパッカーとは違うところです。
- 12週間の留学
- 2週間の船旅
- 2週間のホームステイ
- 6週間のボランティア
- 6週間の巡礼
- 6週間のレンタカー&キャンプ
ざっくり数字にしてみるとこんな感じ。
留学は英語が二人してさっぱりだったので最初に3ヶ月間フィリピンのセブで留学しています。
英語が身についたかと言われると疑問でしたが海外の友達ができたこと、英語で話すことに抵抗感が無くなったのは良かった。キラキラした前向きなパワー溢れる日本人にも多く出会ったのもめちゃくちゃ刺激になった。
留学おすすめです。良い子はちゃんと勉強しよう。
僕らについて


順番が逆のような気もしますが簡単に僕らについても。
mosari:夫 石橋を叩いて壊すタイプ。Azuいわく頑固
Azu:妻 思い立ったら吉日タイプでとにかく決めたらすぐ動く。その代わり計画性がなく欲望に忠実。mosariいわく頑固
帰ってきた今は二人とも38歳。アラフォーです。
なんで世界一周したかったのかってのは出発前の記事をどうぞ。
帰国時は当然無職でしたが、先日ご報告したとおり、一応仕事決まりました。
期間限定なのでまた本格的に何をするかは考えないといけませんが、とりあえず今しかできないことなので楽しみます。
英語力は二人ともなんでこんなに喋れないのか不思議なくらい喋れません。
出会う夫婦ってどちらかは英語が話せる人が多いんですけど、我々は二人ともひどいもんです。
それでも世界一周なんて出来てしまうのだからスマホってやつには感謝しないといけません。
もちろん英語ができた方がより楽しいのは間違いないです。
でも英語を理由に旅をしないのは勿体無いです。
大事なのはパッションです。
スポンサードリンク
訪問国
さて続いてはどんな国を回ってきたのか見てみましょう。
56ヶ国(地域)を世界地図にプロットしてみるとこんな感じ。
Create Your Own Visited Countries Map
世界には200弱の国と地域があるので4分の1の訪問数になのでスカスカになるのは仕方ないのですが、中国やアメリカ、ロシアなどの大国に行ってないので余計スッカスカですね。
アフリカも北部は全然ですし、アジアもタイとフィリピン、インドくらいです。
アジアはいつでも行けると思って今回は外してます。
タイは予防接種、フィリピンは留学、インドは外せない。
そんな理由で3ヶ国だけです。
地図だと全然わからないって人も多いと思うので具体的に書いてみましょう。
国数 | 地域 | 国名 |
1 | アジア | タイ |
2 | アジア | フィリピン |
3 | ヨーロッパ | オーストリア |
4 | ヨーロッパ | スロベニア |
5 | ヨーロッパ | クロアチア |
6 | バルカン | セルビア |
7 | バルカン | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
8 | バルカン | モンテネグロ |
9 | バルカン | コソボ |
10 | バルカン | 北マケドニア |
11 | バルカン | アルバニア |
12 | ヨーロッパ | ギリシャ |
13 | ヨーロッパ | トルコ |
14 | コーカサス | ジョージア |
15 | 中央アジア | ウズベキスタン |
16 | 中央アジア | キルギスタン |
17 | 中央アジア | トルクメニスタン |
18 | コーカサス | アルメニア |
19 | 中東 | イラン |
20 | 中東 | ヨルダン |
21 | 中東 | サウジアラビア |
22 | アフリカ | エジプト |
23 | アフリカ | ザンビア |
24 | アフリカ | ジンバブエ |
25 | アフリカ | ボツワナ |
26 | アフリカ | ナミビア |
27 | アフリカ | 南アフリカ |
28 | アフリカ | マダガスカル |
29 | アジア | インド |
30 | 中米 | メキシコ |
31 | 中米 | グアテマラ |
32 | 中米 | エルサルバドル |
33 | 中米 | ホンジュラス |
34 | 中米 | ニカラグア |
35 | 中米 | コスタリカ |
36 | 中米 | パナマ |
37 | 南米 | ボリビア |
38 | 南米 | アルゼンチン |
39 | 南極 | 南極 |
40 | 南米 | チリ |
41 | 南米 | パラグアイ |
42 | 南米 | ウルグアイ |
43 | 南米 | ブラジル |
44 | 南米 | エクアドル |
45 | 南米 | ペルー |
46 | 南米 | コロンビア |
47 | ヨーロッパ | イギリス |
48 | ヨーロッパ | フィンランド |
49 | ヨーロッパ | エストニア |
50 | ヨーロッパ | デンマーク |
51 | ヨーロッパ | ノルウェー |
52 | ヨーロッパ | フランス |
53 | ヨーロッパ | スペイン |
54 | アフリカ | モロッコ |
55 | ヨーロッパ | ドイツ |
56 | オセアニア | ニュージーランド |


変則ルート
こんな感じの変則ルートです。
前半のユーラシア編まとめ。
後半の中南米編まとめ。
んで1年経って、「旅の仕方を変えてみるか」と、再びヨーロッパに戻ってからホームステイ、やボランティア、カミーノ巡礼などをした後に、最後にニュージーランドでキャンプ旅をしてフィニッシュとなりました。
コペンハーゲンで出会ったジョンファミリーのお家へ。
44日間ただひたすら900キロ歩いたカミーノ(巡礼の旅)。
英語を駆使して海外ボランティアに挑戦。
テントを持ってニュージーランドへ。
テントを組み立てるのも初めてだったけど”初めて”を楽しみながら最後を迎えた。
いい旅だった。
旅を終えて思うこと
帰国してからずっと書こう書こうと思いつつ書けなかったことをようやく書きます。
なんだか自分の中で言語化できなかったんですよね。
いや、これを書いたら本当に終わってしまうのが怖かったのかもしれない。
でもそろそろ書かないとな。
終わらせるために。
次に進むために。
一言で世界を回った感想を言うならば、
世界は美しく、人は優しかった
です。
大自然や人の叡智が作り上げた建造物はとにかく美しく、不思議なパワーを持っているように感じた。
地球が生きてるって感じたことある人いますか?
世界には地球の息吹を感じることができる場所がたくさんあります。


例えばグアテマラで見たフエゴ火山。
20分置きに紅蓮のマグマを噴き出すその姿はまさに圧巻。
僕らは地球に住まわせてもらっているんだ。


息を呑むような手付かずの原初の海。
南極。
人の手が入っていない最後の楽園。
お邪魔します。
そう思いながらこの世界を全身で感じていた。


自然が生み出したエメラルドグリーンの湖。
ニュージーランドのトンガリロ。
先住民たちにとっての聖地。
この荒々しい大地とのギャップに神聖さを感じてしまうのは人類共通だろう。


アフリカでは動物たちの営みも見ることができた。
力強く生き抜く様はなんだか見ているだけで勇気をもらえた。
数え切れないくらいの美しい自然を、地球を見てきました。
ビルの隙間に居たんじゃわからないことだらけだった。
そして毎日毎日、たくさんの人に助けてもらった。
初めての場所で道がわからないのは当たり前。
でも結局は誰かが助けてくれる。
そこに言語の壁はなかった。
海外は怖いってイメージの人も少なからずいるけれど、悪意を持った人なんて極々わずかで、日本人が忘れてしまった暖かさを持っている人で溢れていた。
行き過ぎた資本主義で僕らは大切なものを忘れてしまっていると感じずにはいられなかった。


怖いイメージが強いイラン。
道を尋ねたところ一緒に案内してくれた後、家族総出で出迎えてくれた。
必ずまた行きたい国のひとつだ。


ペルーにあるアマゾン奥地の村。
船を待つ間に1週間以上お世話になった家族からは何度も夕飯をご馳走になった。
まさかそんなに長く滞在するとは思っておらず手持ちのお金が足りなくなってしまっていたので本当に助けられた。
あなたたちは家族だから。
そう言って食事を分け与えてくれた。
こんなのは本当に一例で、多くの人の優しさを、愛を分けてもらった。
毎日少しずつ優しさの借金をしながら旅をしていた。
たっぷりと背負った優しさの借金を僕らはこれから日本で返していかなければいけない。
万博で働こうと思ったのもそういう気持ちがあってこそ。
きっと大阪の街中で見かけたツーリストたちに何かできることがあるはずだ。
世界は美しく、人は優しかったのだから。
スポンサードリンク
価値観の変化


よく旅を自分探しと形容する人がいる。
でも旅で自分が見つかるとは思えない。
自分はどこに行っても自分だから。
だけど旅をする中で考え方が変わったものがある。
・・・
・・
・
家族との時間だ。
結婚した当初僕らはすれ違いの生活だった。
僕は毎日終電だったし、Azuは夜勤のある3交代制だった。
0時半に玄関で「ただいま」と「行ってらっしゃい」を同時にするような生活だ。
コロナの前にAzuが日勤だけのシフトに変更してくれたがまだまだ家族の時間が十分とはいえなかった。
僕が帰る頃にはもうAzuは寝ていたから。
まぁでも「仕方ない。」そう思っていた。
それが旅を始めてどうだろうか。
トイレとシャワー以外常に二人は一緒なのだ。
喧嘩をしていてもずっと一緒。
たまには一人になりたいなんて思ったこともあったかもしれないが、二人で過ごした時間はお互いの記憶に残っていつだって思い出として話すことができる。


家族の時間を大切にしたい。いや、大切にしないといけない。
僕はそう思うようになった。
仕事しかしてこなかった人生から変わろうと思う。
生きるためにお金は必要だ。
お金をたくさん稼ごうと思ったら基本的には責任のある職につき、会社に尽くさなければならない。
でもこの旅では十分なお金が無くても幸せに生きる家族をたくさん見てきた。
これからはワークライフバランスに気をつけて生きていこうと思う。
雨水とボロ切れで食器を洗うような生活だって人は生きられるのだから。


多くを望まなければ、
屋根があって
暖かい食事が食べられて
最低限の衣類があれば
人は生きていけるのだ。(ちょっと極端な例だけどね)
それはスペインをひたすら44日間歩いたカミーノでもそう感じた。


900キロを44日かけて歩いたカミーノ
生きることはシンプルなのに余計なものを背負い過ぎて人は苦しくなっている。と。
バックパックを背負って毎日20キロ以上歩く生活を側から見たら大変だと思うだろう。
でも実際歩いてみるとそんなことはなかった。
ただ歩いて、食べて、寝るだけの生活があんなにも幸福度が高いとは思わなかった。


みんな幸せそうでしょ?
年齢も国籍も言語も関係無い優しい世界だった。
いつだって僕とAzuはこの輝かしい時間を話すことができる。
日本に帰ってからももっともっと思い出を増やしてかなきゃ。
学び
海外でのボランティアとホームステイも僕らにとっても非常に有意義な経験になった。
色々と学ぶことが多かったけど、大きく3つ思うことがある。
コーヒー1杯分の余裕


北欧でホームステイさせてもらった家族は食後のティー(コーヒー)タイムが欠かせないと言っていた。
自分が心地よい(幸せ)と感じる時間を必ず作るようにしていて、そういう時間には好きな飲み物が必要だと。
ついつい日本では忙しく生きがちだけれども、1日に必ず僕らが幸せと感じる時間を作るようにしようと思う。
好きなことをやろう


ドイツとニュージーランドのボランティアでお世話になった家族は自分の好きなことをするために生きているように見えた。
自分たちだけのオーガニックファームを作りたい
スポーツやアクティビティを全力で楽しむ
彼らはそんな力強い目標のために生きていた。
そのために仕事をしていた。
仕事の合間に自分のやりたいことをするのでは無く、自分のやりたいことのために仕事をする。
同じ仕事でもその意味合いは全然異なるだろう。
僕らはもう38歳だけど遅すぎるなんてことはない。
いつだって今が一番若いのだから。
そして人生は短いのだから。
やらない理由を探すのはもう辞めよう。
もしやりたいことがあればできる限りチャレンジしてみようと思う。
お金がかかるのは難しいかもしれないけれど(;´∀`)
いただきますの意味


日本人なら誰もが食事前に必ず発する「いただきます」という言葉。
なんとなくわかった気でいたけれど、海外を見ているうちにその本当の意味を知った。
一番最初にそれに気がついたのはブラジルの弓場農場。
ここでは”牛”が”肉の塊”になっていく様を見届けた。
スーパーのパック詰めされた肉を見ていただけでは抱かない感情。
僕らは生きるために誰かの命をいただいている。
だからこその、
(お命)いただきます。
だ。
そしてドイツのボランティアではベジタリアンのお家にお世話になった。
ここでは動物の尊厳について考える機会をもらった。
アニマルウェルフェア(動物の福祉)という考え方を知り、より一層動物への感謝が増した。
ただ食べられるために生まれてくる家畜とはいえどう育てるか。
1歩も動けないような環境で育てるのか、自由に歩かせてあげるのか。
そんなこと考えたこともなかったけど大事なこと。
もちろんこれは生き物だけの話ではない。


30度を超えるような暑さの中での農作業は実に過酷だ。


逆に冬の一桁台前半だってキツい。
自然の恵みをいただく際には生産者の方々への感謝を忘れてはならない。
もちろんそれを市場に届ける流通の方、料理をしてくれた人にも当然だ。
いただきますの本当の意味がわかると食事が美味しくなるのだから不思議だ。
今日もご飯が美味いっ!
スポンサードリンク
旅の終わりについて


元々予定していた旅の期間は留学を除いて1年間でした。
が、カミーノ巡礼をしてみたい、ニュージーランドでレンタカーキャンプ旅がしたいといった要望もあったのでできるだけ節約しながらの旅になった。
その結果無事に延長戦(カミーノなど3ヶ月)とおかわり(ニュージーランド2ヶ月)もやることができて、ある程度やり尽くした感はあります。
散々悩んだ南極にも行ったしね。
もちろん贅沢を言えばアイスランドにも行きたいし、アメリカのレンタカー横断もしたい(これは今年やる予定)。
アフリカ西部にも行ってみたいし、モンゴルだって行ってみたい。
まだまだ行きたいところは数あれど、いったんは終わりで悔いが無いくらいには満喫しました。
旅に出る前はバックパックを背負ったことも無かったし、ドミトリーにすら泊まったことが無かった。
そんな二人にしては色々と経験できたんじゃないだろうか。
もちろん他の人と比べるとマイルドだったかもしれないが人と比べるものでも無いし、そもそも英語が壊滅的なのにボランティアにホームステイはめちゃくちゃ頑張ったと思う。
エライ!
旅に出た最初の頃は悩むこともあった。
それは退職時に会社から言われた言葉。
お前は遊びのためにチームメンバーに迷惑をかけるのか。
呪いのようにどこか身体にまとわりついていたけれど、旅をしているうちにそんな言葉も消えてなくなった。
いい旅だった。
後悔などあるはずもない。
本当に、本当に楽しかった。
仮の仕事ではあるけれど大阪万博で働くことも決まった。
家も車も仕事も無いからこそ選択できたアイデアでもある。
定住できないという意味ではちょっと寄り道かもしれないけれど、旅も人生もちょっと寄り道するくらいでちょうどいいのかもしれない。
初の大阪暮らし、ドキドキ&ワクワクです。
これから旅に出る方へ
たぶん旅に出る時の最大の障壁って仕事だと思うんですよね。
再就職できるか不安でたまらないと思います。
でもちょっと待ってください。
人生の優先度が、
仕事>やりたいこと
で本当にいいんですか?
旅に出てみると、
やりたいこと>仕事
という人にたくさん出会います。
旅に出て後悔したという声も聞いたことがありません。
そもそもあなたが勤めている会社が定年までちゃんと存在するかもわかりません。
ある日突然上司がアメリカ人や中国人になるかもしれませんし、突然身体か心を壊してしまうかもしれない。
置かれている立場も環境も人それぞれなので一概に言うのは難しいのはわかっていますが、それでもそれだけの勇気を振り絞るだけの価値はあるのかなと。
もちろん家族のために仕事をするのもとても立派だしすごいことです。
でも実際に子連れで世界一周している家族がいるのもまた事実。
意外に家族に相談したらOKが出るかもしれませんよ?
もし家族で同じ方向を向きたい、でも仕事が・・なんて状態だったとしたら思い切って旅に出てみてもいいんじゃ無いでしょうか。
世の中には却下された人も数多くいますので。
君はラッキーボーイだな!
そう言われることも多かった。
Azuが一緒に旅をしてみたいって言ってくれて最後まで一緒に楽しめたんだから本当にラッキーだ。


最後に
実を言うと世界一周中はもっとハングリーでドロドロなものを想像していた。
これは僕が読み漁っていた2010年代のブログの影響である。
今はどっちかというと映えを意識した投稿が増えているが、当時はハングリーさを競い合っているかのようにみんなぶっ飛んでいた。
野宿だって当たり前だったし、ご飯がフランスパンやビスケットだけなんて日も見かけた。(もちろん今でもそういう人はいるけど珍しい部類になった気がする)
でも実際に旅に出てみるとそれは難しいことに気がついた。
それはAzuの存在だ。
危険な目に遭わせるわけにはいかないし、Azuは何より食事を大切にしている。
だからぶっ飛んだ旅はできなかったけど、その分毎日美味しいご飯が食べられたのには本当に感謝しかない。


僕は世界一豪華で美味しい食事が食べられた世界一周旅行者だ。(もちろんパンだけの日もあったけど)
喧嘩もしまくったけど、この輝かしい濃密な思い出が共有できたのは一生の宝物になる。
ありがとうAzu。


二人とも900キロも歩けるなんて思わなかったよね。
すごいよ。
これからも僕がAzuのモホン(道標)となり、Azuが僕のモホンになって人生は続いていくのだろう。


改めてありがとう。
そんなAzuも今は綺麗で清潔で安全な日本で幸せそうに毎日笑顔で暮らしている。
日本ってすごいね、ほんと。
暮らしやすさでは間違いなく一番快適でしょう。
でもその代わり仕事で求められるレベルと時間も高い。
うまくバランスを取りながらもっともっと幸せになるように生きていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
旅の予算やらお土産のマグネットやらまだ書きたいことはあるのですが一旦これくらいにしておきましょう。
改めてブログやInstagramで応援してくださった皆様にも感謝申し上げます。
もちろん旅の最中に出会った全ての人に感謝を。


世界は一冊の本である。
旅をしない人は、その最初の1ページしか知らない。
オーグスティンの言葉より
僕の見て感じた世界をブログを通じて書き残してきました。
誰か一人でも旅に出て世界を見てみたいって少しでも思えたのであれば嬉しいです。
それでは!