【世界一周116日目】2023.07.29 ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ
1兌換マルク=79.49
今日の予定
- ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボを観光するよ。
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久しぶりのドミトリー泊
オーストリアの初日にドミを使って以来、約2週間ぶりのドミトリー。
夜に帰ってきた人の生活音、誰かがトイレに行く音、早朝に出発するゆえパッキングの音などで何度か目が覚めた。
と言ってもすぐにまた寝れたので大した問題ではなかった。
ドミである以上仕方がない。
朝起きて飲むヨーグルトをゴクリ。
一切砂糖が入っていないので酸味があり寝ぼけた頭を呼び覚ましてくれる。
9時過ぎにホステルを出てサラエボの街へ。
朝ごはんはホステルのすぐそばにあるパン屋さんで買うことにした。
「PEKARA MARKALE」。
なんと24時間営業。
他のパン屋よりも安くて美味しい。
滞在中は本当にお世話になった。
近くの広場で食べることにした。
パンを食べようとしていたら通りすがりのマダムが「ボナペティ(召し上がれ)」と言ってくれた。
- チョコクロワッサン
- チェリーパン
- ウインナーロール
- ポテトのブレク
4つで6マルク(477円)。
安いのにパイ生地がさっくさく、ポテトブレクはジャガイモがぎっしりしていてとても美味しかった。
この旅一番のパンかもしれない。
ポテトのブレク、まじでおすすめです。
広場の前に停まっていたヴェスパのバイク。
バルカン半島に入っても相変わらずよく見かける。
サラエボ観光
さて、腹ごしらえをしたらサラエボの街を散策します。
旧市街周辺は可愛らしいヨーロッパ風の建物が並びます。
セルビアの首都ベオグラードでは社会主義を想起させる無骨な建物が多かったのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボはヨーロッパに雰囲気が近いようだ。
こちらの広場には大きな聖堂が建っていた。
イエスの聖心大聖堂だ。
1889年に建てられたが幾度かの紛争を経てダメージを受けたものの全壊は免れたというタフな聖堂。
中に入ろうとするとAzuが断られる。
理由は半ズボンだったから。
これまで一度も断られたことが無いので明らかに何かが変わってきている。
Azuは入り口でお留守番。
豪華さや派手さはなく、どことなく中東を思わせるようなパターンだった。
この街には至る所にモスクがあった。
これまでの街ではほとんど見かけなかったが、サラエボでは教会よりも多いんじゃ無いか?というくらいとんがり帽子の建物をよく見た。
そして猫が異様に多い。
セルビアでは犬ばかりだったがこちらは猫だらけ。
そのままFerhadija通りを東に進むと、おもしろいポイントに出た。
こちらは来た通り側。
西欧風の雰囲気の街並み。
んで振り返る。
がらっと雰囲気が変わる。トルコ風の街並みだ。
西欧文化と東欧文化の交わる場所。
ここまで急に街並みが変わる場所が他にあるだろうか?実に面白い街だ。
木造の建築や、軒先に座ってコーヒーを楽しんでいる様は明らかにこれまでの街とは異なっていた。
どこか日本らしさも感じてしまいここがどこの街なのか本当にわからなくなってくる。
それでも唐突にモスクが現れたりする。
これがトルコ風の街並み、ということか。
トルコには1ヶ月後に到着しているはずだ。今から楽しみだな。
トルコ風の鉄?製の食器などが多く売られていた。
ここは旧市街の中心であるバシュチャルシヤ(職人街)の水飲み場だ。
当然水を補充させていただいた。
サラエボの水は全く問題なく飲めるようだ。
宿の台所の水道水も飲んでいるがお腹は大丈夫。
この辺りはちょっとした広場のようになっており、非常に多くの観光客で賑わっていた。
鳩の餌が売ってるもんだから広場は鳩だらけ。
多くの子どもの笑い声が響いていた。
そんな姿を見守る男性がいた。
街の清掃員の男性だ。
遠くから子供達が遊んでいる様子を優しい笑みを浮かべながらずっと見守っていた。
この街で生まれ育った成人男性は全員紛争を経験している。
20年ちょっと前までこの街は銃弾が降り注ぐ街だった。
それが今ではこれだけ平和に暮らすことができている。
きっとそれが嬉しかったんじゃ無いかな。と勝手に想像した。
そして彼とは別にもう1人見守っているものがあった。
彼は全てに絶望してやる気を失っているように見えた。
いいことあるよ、生きてりゃさ。
ここからは街を一望できると言うイエローフォートレスに向かうことにした。
けっこうな坂道を頑張って登る。
振り返る。
すげぇ坂だ。
それでも歩き続けて展望台にやってきた。
これまた素晴らしい景色が待っていた。
オレンジ色の屋根が山に囲まれていてダイナミックな街を一望することができた。
仲良しそうな3人組の男性がだべっていた。
地元の人か観光客かはわからないけど午前中の朝からだべってて良い関係なんだろうな。
写真じゃ伝わらないけど、本当にいい景色だ。
市内でも屈指のビュースポットと思われる。
ウェディングフォトを撮っている方もいた。
コングラッチレーション!
坂を下って再び旧市街に戻ってくると、
カンカンカン
と何かを叩く音が聴こえてきた。
音のなる方に進んでいくと1件のお店に出会った。
手作りでトルコ風の食器を作っていた。
目が合うと「カモン、カモン」と言うのでお邪魔させていただいた。
このお店のものは全て彼の手作りで、どうやって柄を入れるのか、など、作り方を教えてもらった。
そしてプレスして作る簡易版もあるということだった。
荷物になるので買うことはできないがどうせ買うなら手作りがいいよな。
お礼を言ってお店を後にした。
サラエボの街は西欧と東洋の文化の混ざるとてもエキゾチックな街で実に面白かった。
だが、それだけでは無いのがサラエボの魅力。
例えばこの建物。
穴が空いてるのがわかりますよね?
これ、銃弾の跡です。
サラエボ包囲。
1992年4月5日から1996年2月29日の4年間に渡って街はセルビア人勢力に包囲され、街には銃弾や砲弾が降り注いだ。
街の至る所で銃弾の跡や砲弾の着弾点が残されている。
これにより市民は街を出歩くのも命懸けだった。
自分が平和に小学生を満喫している間、この街では命懸けの日々が続いていたと言うのだ。
信じられない。
信じられないけど、紛れも無い真実。
つまりこの街で生まれ育った自分の年くらいの成人男性は皆紛争を経験しているということだ。
先日セルビアの首都ベオグラードで爆撃されたビルを紹介したが、このセルビア包囲の悲惨さを見かねてNATO軍が報復で爆撃を行なったものだと言うことがわかった。
やられるだけの理由があるわけだ。もちろんやる側にも正義があってどちらが正しいかはわからないが、武力を持って市民の命を無差別に奪う理由にはならない、なってはいけないはずだ。
そんなわけで街のお土産屋にはこんな笑えないものが売っている。
薬莢を使ったおもちゃやボールペンだ。
まじで笑えない(;´∀`)
他のお土産といえばもっぱらトルコ風の食器だ。
一見華やかだが、先ほどお話しさせていただいた彼が作っていたものとは格が違うように感じた。
おそらくプレスで作られた大量生産品、というところだろうか。
このような無骨な感じが手作りの魅力なのではなかろうか。
こちらはラテン橋。
この橋の上でオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者フランツ・フェルディナント夫妻がスナイパーにより暗殺され第一次世界大戦のきっかけとなった。
いわゆるサラエボ事件の現場である。
本当にこの街は悲惨な歴史を持っている。
それでも今はとても平和。
街には活気があり、人は優しく、観光客で溢れてる。
前向きなエネルギーを持った熱い国だ。
サラエボ、おすすめです。
昼過ぎに宿に戻ろうとしたが、目の前のフルーツマーケットに寄ってみた。
たくさんのフルーツが売られていた。
でも量が多くて食べきれ無さそうなんですよね。
しばらく滞在するならいいんですけど・・
お腹が減ったので朝のパン屋で昼飯を買って食べた。
サラエボの街は好きだが、スーパーで手軽に食べれそうなものが売っていないのが難点。。。
困った末にまた同じパン屋に行った。
- ほうれん草ブレク
- 肉ブレク
- バニラクロワッサン
- チーズパイ
4つで5.8マルク(462円)だ。
相変わらずブレクがうまい。
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宿での出会い
パンを食べたら部屋に戻って1時間ほど昼寝をすることにした。
途中で話し声で目が覚めた。
どうやら誰かがチェックインしてきたみたいだ。
そして同室のトルコ人と会話をし始めた。
I’m from Japan.
え。まさかこんな街で日本人とホステルが同室に?
信じられないが名古屋出身だと言っている。
こりゃマジで日本人だ。
彼らの会話をBGMにウトウトしていたが、タイマーが鳴ったので起きて挨拶をした。
彼の名前はTOSHIさん。
2年間アメリカ駐在していた経験を持つ男。
ベオグラードであったMAKOさんもそうだったが彼も30代。
今時の30代は飛び出したくなるんだろうか。
彼は南米からスタートしてヨーロッパに来たところだそう。
が、あまりの物価の高さにバルカンに来たんだとか。
我が家と一緒ですね 笑
まじで今は世界一周中に西欧は行くもんじゃ無いですね・・・
1時間くらいお話しさせていただいた。
偶然にも明日同じモスタルという街に向かうことも判明。
モスタルの街でもまた会えるだろうか。
鉄道駅へ
明日はモスタルという街に行くことにしたので、チケット情報を手に入れるべく鉄道駅に歩いて行くことにした。
暑かったのでアイスを買った。
レモン味。
2マルク(158円)。
ようやくアイスが安くなった。
強烈な西日の中、30分ほど歩いて鉄道駅にやってきた。
閑散とした構内。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは鉄道は主流ではないのかな。
それでもチケットカウンターには数人が列を作っていた。
前情報ではチケットは当日でないと買えないと言うことだったので何時発の便があるかだけの確認。
英語が通じました。
7:15サラエボ発ー9:12モスタル着
16時台にもう1本あったが、我々は7時の便をチョイス。
買えないと思っていたがどうやら今日売ってくれるらしいので購入することにした。
しかもクレジットカードが使えました。
チケットゲットです。
1人14.1マルク(1,121円)なり。
これで明日は30分前に駅に来ればいいので楽になりました。
けっこう当日は並んで怖い思いをするという情報が結構あったので。
帰り道。
明るい街並みを歩きますが、
頻繁に銃弾によって穴だらけの建物が現れます。。。
犠牲になった子供達を鎮めるためのモニュメントなどもありました。
安らかに。。。
こちらの永遠の炎は大2時世界大戦で亡くなった全ての人を鎮めるための炎。
しばしば消えるとか消えないとか。
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夕食から就寝
夕食はケバブが5マルクで売っていたのでそちらを食べにお店へ。
が、閉まっている・・・
どうやら夜食べるものじゃないのか、何件か見ましたが狙っていたケバブ屋さんが全滅。
仕方なしに、
朝も昼も行ったパン屋に再び。
- チーズパン
- チョコクロ
- ピザパン
3つで5.8マルク(462円)なり。
相変わらずパンは美味しかった。
が、まさか3食同じパン屋になるとはw
宿が旧市街に近いので近場はどこも観光客向けの値段なのでわざわざ入る気が起きず、3連続安くて美味しいパン屋になってしまいました(;´∀`)
マジでここのパン屋は助かりました。
明日はモスタルへ移動です。
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コメントはmosariも読ませていただいてます。ありがとうございます。
サラエボは東洋と西欧文化が入り混じり、戦争の悲惨さと未来に向けた活気に溢れたとても不思議な街でした。
サラエボ、おすすめです。
それでは!
めっちゃ楽しそう!!!!お身体だけ気を付けてください!!わたるからURLもらいました!!師匠!!
北海道の男さん
うわー、めっちゃわかりやすい名前ありがとうございますw
相変わらず忙しいですか?
こちらは楽しいです(^ω^)ニヤニヤ
とか言いつつ、熱出して昨日死んでましたw
日本もめっちゃ暑いみたいなのでお気をつけを〜。